WEshevaの日常のあれこれ

平凡な日常の中で気になったことを書いています

パワハラ問題について考えてみる ファン・ダイクで納得!!!

さあ、まずは先週のリヴァプールVSアーセナルの感想から。リヴァプールがほぼ完勝でしたね。3-1で試合をモノにしました。アーセナルはほとんど攻めが上手く行っていませんでしたね。前線のオーバメヤンペペカウンター戦術に頼った攻撃でしたが、中盤を省略しすぎていて、効果的とは言えませんでした。



力の差があるリヴァプールということで、アーセナルエメリ監督も守りの戦術から入ったのかもしれませんが、あまりにもリヴァプールの選手にボールを持たせすぎていましたし、ファイナルサードまでほぼノープレッシャー簡単に侵入されていましたので、いつか失点するのは目に見えていました。案の定、失点してからはほぼ為す術がありませんでしたね


MVPは、2得点したサラーか、アシストを記録したアレクサンダー=アーノルドだと思いますが、俺は、アレクサンダー=アーノルドに1票ですね。サラーも得点を記録したことは素晴らしいんですが、やはり、得点以外の貢献度が少なかったと思います。対してアレクサンダー=アーノルドは、常にいろいろな場面に顔を出して、積極的に攻撃に関与し、結果を残していました。これほど攻撃に貢献できるサイドバックはそうそういないでしょうから、ホントに貴重な人材ですね。



そういえば、先日UEFAのベストプレイヤーも発表されましたね。リヴァプールセンターバックであるファン・ダイク初受賞となりました。この賞は、昨シーズンのチャンピオンズリーグでの成績をもとに決められるものなので、優勝したリヴァプールから選ばれるのは納得でしょうね。決勝MVPファン・ダイクで間違いなかったですし。でも、2位と3位にメッシクリスティアーノ・ロナウドがまだいるんですよね。確かに、昨シーズンも2人は変わらずハイパフォーマンスでしたから。彼らが完全に消える日はいつなんでしょう。


ここからは、例によって、タイトルのとおり、パワハラ問題について考えていきたいと思います。なんで、このテーマを選んだかっていうと、先週放送されていた梅沢富美男のズバッと聞きます!」(以下:梅ズバッ!)というバラエティ番組でちょうど取り上げられていたテーマだったからです。その番組の趣旨は、パワハラに一定の理解を示す昭和世代と、パワハラが理解できない平成世代とに分かれてトークバトルを繰り広げるというようなもので、面白い意見が結構出ていたと思います。


まあ、パワハラって結局何なんでしょう?ってことですが、昭和世代の時代には、今では考えられないほどの先輩からのハラスメントが存在していたでしょうね。部下へ叱責するのは当たり前でしたでしょうし、人格否定なんてよくあったんじゃないでしょうか。あまりにも理不尽な命令なんてのもあったでしょうし。今の昭和世代はそれを乗り越えてきた人たちが多く、だからこそ、すぐに何でもかんでもパワハラを訴える平成世代を精神面で弱いと見ているのかもしれないですよね。まあ、すべての昭和世代がパワハラを受けてきたかはわかりませんが。



実は、俺もバリバリ平成世代なので、結論から言うと、パワハラは全く理解できないです。やる意味が分からないですからね。これは、梅ズバッ!でも平成世代が口にしていた意見でした。上司が部下に対して明確に認識をもってパワハラを行っているかどうかはわかりませんが、結局は、自分の苛立ちを弱い立場である部下にぶつけているだけというのが、パワハラなんですよね。


番組に出演していた立川志らくが、師匠である立川談志の例をパワハラとして持ち出していましたが、彼が志らくに要求していた数々の無理難題というのは、パワハラとは少し違うように思えました。志らくの意見は、談志の言動はパワハラだったかもしれないが、自分の人格形成には大きく寄与した面があるから必要であったという主旨で話していましたが、おそらく、世間一般の会社員のパワハラとは質が違うでしょうね。そもそも、立川談志世間一般の普通のサラリーマンとを比べても意味がないです。まず、人としての実力が全然違うでしょうし。そりゃ、談志のパワハラを受けたいというわけではないですが、談志の人格を含めて尊敬して自ら弟子になったのであれば、いちいちすべての言動をパワハラと捉えていたらやっていけないことは平成世代でもわかると思います。そもそも弟子にならないかもしれませんがね。


平成世代が主張していたのは、よくある普通の人の、なんの威厳もない人格もできていないような上司からのパワハラなわけです。意味不明な命令だったり言動を受けて理解できないのは誰だって当り前ですよね。番組で終始、昭和世代と平成世代の話が嚙み合わなかったのは、皆がそれぞれに想像して思い浮かべているパワハラの事例が違うからだと思います。そもそも芸能界と一般企業を比べるのも違いますしね。芸能界も先輩後輩はあると思いますが、基本的に先輩から命令権があるわけではないですから。後輩が先輩の言うことを聞く聞かないは本人の意思によって決められています。そこに無言の圧力があるかもしれないですが、一般企業では、無言の圧力とかではなく、上司からの命令はほぼ絶対ですよね。だって、部下ですから。パワーバランスの質が芸能界で想定されるものと少し違うんですよね。



結局、そういうパワーバランスの中で行われる暴言による叱責人格否定なんかは、部下から反論できる余地を与えてくれません上司の言うことは絶対ですからね。それでいて、その人が尊敬できるような人でもなければ、心の中で不満やイライラを溜めていく毎日となるわけです。異動とかがある会社ならいいですが、ずっと異動がなければ、その人が退職でもしない限り、関わり続けることとなります。まあ、耐えられないですよね。だから、自ら退職するわけですよ。相手が尊敬できるような人だったら、まだ許せるかもしれませんが、そもそも人格的に尊敬できるような人なら、パワハラなんてしません暴言にはなんのメリットもないことを知っているからです。


暴言を使ってでしか自分の威厳を示せないような人は、そもそも人格がとても未完成な人です。どこかで溜まっている自分の不満を部下にぶつけているだけにすぎません。自分を常に律し、反省できるような優れた人格者であれば、人に不満をぶつけるような真似はしません。逆に、自分の人格レベルを貶めていく行為になることをわかっているからです。人がついてくるような人というのは、特別何もしなくても、勝手に人がついてくるんです。相手に何かしてほしいなら、そのことをただ言うだけでいいんです。相手を変えたいと思うなら、無理に変えようとする必要なんてないです。まずは、自分から変わらないと相手は変わりませんから。


このように、パワハラが不要で無意味であることは明白なんですが、平成世代がなんでもかんでもパワハラを訴えることに賛成というわけではありません。基本的には、パワハラは上司と部下の間で必ず発生するものではありません。上司が優れた人格者であればもちろん発生しませんが、例え、上司の人格が未完成であったとしても、部下の人格が優れていれば、パワーバランスは逆転します。仕事の立場上では、もちろんパワーバランスはあるかもしれないですが、人格面でのパワーバランスの逆転が起こった場合は、なかなかパワハラは起きにくいです。その上司が不満をぶつける相手がいないからです。



人格未完成の上司が不満をぶつける相手というのは、すべての人ではないです。やはり、自分より弱そうな人を感覚的に見極めたうえで不満をぶつけているのです。つまり、パワハラが起きないようにするには、自らの人格を上げることしかないんですよね。上司から不満をぶつけられ、部下も誰かにその不満をぶつける状況では、一向に解決するわけがありません。確かにパワハラは良くありませんが、それに対して、自分が被害者であることを周りに訴えていると、結局は、その上司と同じ人格レベルに成り下がってしまうわけです。お互いに、不満を誰かにぶつけることでしか解決できないようでは、やってることが同じですからね。


だから、何でもかんでもパワハラを訴えるのではなく、自分のどこが悪いのかを冷静に見つめる作業も必要だと思います。自分はミスなんかしていないと思うなら、それを上司に言えるぐらいの気持ちを持つことが大事だと思います。自分の方が合っている自信があるなら、直接言えばいいんです。上司も反論できないぐらいに。それで辞めさせられるぐらいなら、辞めたほうが良い会社なんだと思えばいいわけです。そんなこと言えるわけがないと思っている内は、人格がまだまだだと思った方がいいです。人格が出来てくると、味方が勝手に増えます。味方が増えてくれば、パワハラが起きたとしても、周りが助けてくれます。もっと成長すれば、周りが助けなくても、自分で立ち向かうことが出来るようになります。


パワハラの原因は、必ず一方にあるわけではないんです。当事者のどちらにも原因が潜んでいるわけです。人格が出来ていない人からいくら何を言われても、俺の方が優れていると思うぐらいの気概でいれば、おそらくパワハラは起きません。


何か精神論みたいになってるかもしれませんが、結局は、毎日、自分との戦いでしかありません。他人というのも、結局は自分が作ったイメージなんですよね。あまり、スピリチュアル的な話はしたくないですが、見えないものと向き合っていかないと、人は成長できません。自分の弱さと向き合うことから逃げ出さないことが重要なんです。でも、周りに頼るなというわけではないので、利用できると言ってはなんですが、助けてくれそうな人がいるなら、相談してみるのも大事なことです。新たな解決策が見えてくるかもしれないですから。

では、また。